最初はあんなに怪しいと思ってた行政書士様様で
入国可能になった社長。
そして
準備を進め
最終的にビザが下りるまでの期間がどれくらいだったのか、覚えてないけど。
でも
無事にビザが下りて
社長にその連絡をしたときのドキドキ感とか、すごかった。
いざ、ビザが下りて
社長の入国日が決まったときに
私は韓国にちょっと別の用事で行くことになった。
それを社長に行ったらね、社長から言われた言葉。
「明日韓国に来たら話があるから」
「え?なんですか?」
「来たら話すから」
「まさか結婚するんですか?」
「いやいや・・・・」
そんな会話。
この場に及んでなんだろう。
いきなり日本行かなくなったとか??そんなはずないし・・・・なんだろ・・・・
割と気にしいなので、私。
教えてくれないなら、今話しがあるとか言わないでほしいわ・・・
明日会ったら言ってくれればいいのにね・・・・
なんて。
そして次の日
会ってすぐに聞いた。
全然検討がつかなくて、考えてもまったくわからなかったから
余計に気になった。
「昨日の話って何ですか?」
「ああ、サガナムやめることにした」
え?
今なんて言いました????
「サガナムやめることにした」
なぜ??
日本に帰ったらゆっくり話すけど。
なんだそりゃ。
でもそのときは、私、別にどっちでもいいというか
まだことの深刻さに全然気がついてなかった。
やめるときの条件に
私は社長と一緒にやめることになってたから
まあ、それならいいかなと、漠然とそんな風に思ってた。
社長が韓国にいる間
9ヶ月だったんだけど
日本ではいろんなことがあった。
まず、デザイン室を立ち上げてて
事務所は恵比寿だった。
恵比寿4丁目。
私が恵比寿が好きで
だから、恵比寿で探した。
ただそれだけの理由。
マンションの一室をデザイン室というか、事務所にしてた。
そこに、韓国人の、日本語のしゃべれるスタッフが一人住んでた。
そして共同オーナーの一人も日本にいて
私がいて
日本でデザインの学校に通ってたデザイナーの女の子が一人。
そこでわりと、十週箇所のデザインオーダーとか受けながら、仕事をしてた。
その間に
いろんな人が社長の写真に興味を持ち
社長にあいたり
いろんな可能性がたくさんあった。
日本に社長が入国したら
どれをやろうかと、イロンナ話をしていた。
だから
入国後はものすごく、忙しかった。
いろんな人に会いに行き
いろんな可能性を見つめながら
過ごした。
だけど
最後にはいつも、でもな・・・・韓国でいくらうけてもここは日本だし・・・・
なぜか、そんな感じだった。
私
業界のこととかまったくわからないし
経営とかもわからない。
だけど
普通に日本で子育てをする母親として
絶対に、うけますから。
そういいたかった。
センスなすぎる。みんな。
なんなの、人のことなんだと思ってんの。
散々盛り上げておいて
最後にその切り方。
今思えば、笑えるくらい、絶望感みたいな。
恵比寿にいたから
社長と、よく恵比寿を歩いた。
この物件いくらだと思う?
ここでスタジオやるならどういう内装になると思う?
いつもそんな質問。
全然わかりません。
私の答え。笑
もう、毎日そんな感じで
社長はやる気満々で入国してる分
どんどん、気持ちが焦る。
ある日思った。
自分たちでスタジオ出しましょう。
っていってるけど
私は、何もできないのだけど。
お金もないし、何もないし、何もわからないのだけど。
でも
もう屈辱的すぎてなんだか耐えられなくて。
なんなの
それなら絶対自分たちでやって成功するから
あとから後悔しないでよ。
そんな気持ち。
8月にそんなこと言いはじめて
9月くらいから不動産を回り始めた。
イロンナ場所。
本当にイロンナ場所に行った。
郊外というか
中心から離れたら、当然安い。
だけど、こんなところで人が来るのかな・・・
中心部で探すと
金額が高い。
こんなお金用意できるのかな・・・・
サガナム、やめちゃったしな・・・・
毎日そんなことの繰り返し。
社長は食事にうるさくて
本人曰く
うるさいのではないというのだけど
私が社長とけんかをするとき
半分くらいは食事関連だった気がする(笑)
ある日歩いてて、ランチは韓国料理がいいといわれた。
だけど、その近くに韓国料理があるのかどうか全然わからず
ひたすら歩きながら探したんだけど、なくて。
ないから、いろいろ見てて
どこにしようかな・・・・って、思いながら歩く。
そしたら、もうおなかがすいたし足も疲れたから、どこかに入ろうといわれた。
私に好きなところに入れだって。
だから、
近くにあったパスタやさんに入ろうといった。
そしたら、切れる社長。
いきなりすごいケンマクで怒るから私も腹がたって
「だったら自分で決めてくださいよ」と言い返す。
結局社長、ものすごい怒ってるし
私も毎日こんなんだから、もう限界なんですけど〜〜〜
「じゃあもう好きなとこで食べましょうよ。ランチなんて毎日一緒に食べなくちゃいけないわけじゃないし。」
そしたら一言。
「バラバラに食べよう」
そして行ってしまった。
その後姿をみながら、悔しくて悔しくて、涙があふれてきた。
あまりにも涙が流れるから
気まずくて近くの駅のトイレに行った。
そこで、電話がなる。
「今どこにいるんだ」
「駅ですけど」
「じゃあ駅に行くから」
外に出ると社長が立ってる。
どうやら、私が聞き間違えたらしく、社長はバラバラで食べようとはいってないと主張。
私がついてきてると思って歩いてたのに
振り向いたらいないから、電話したんだって。
私が泣いた跡をみて動揺する社長。
気まずいし、微妙だし、私だって逃げ出したい。
こんなの生まれて初めてだし
もう少し気を使ってくれたっていいじゃん。
自分が好き嫌いありすぎなんだし、なんで私が怒られなくちゃいけないわけ?!
内心、こんな。
だけど
自分が私を置いて、バラバラに食べようなんて言う訳ないだろ・・・・と。
これからは
私の言うように、たまには別々に食べるようにしよう。
だけど
オレはまったくわからないんだ、日本の食事が。
どこに入ればいいかも全然わからないし
韓国ではパスタなんて食べるものじゃないと思ってたし
どうしてわかってくれないんだ的な。笑
そのあと
ラーメンを食べて(笑)
普通にまた、不動産見て回ったし。
もう、そんなのの繰り返し。
いい加減
いつまで不動産見るんだろう・・・・・
そんな感じ。
不安も多いけど
日々のなんだろ、積み重なるストレスというか
申し訳なさというか
そういう感じ。
不動産を回りながらも
スタジオの内装とかいろいろ
資料を探すように言われたり。
で、私なりに、いろいろやったの。
思いつくこととかは、全部。
だけど、会議をして
それを出したらやっぱり落胆されて。
「もうお前には期待しない。」
この言葉が
本当に痛かった。
悔しさと、腹立ちと
なんだろ、あんまり言われたことのない言葉。
だって
はじめてなんですけど。
どこまでが私の仕事なんだか全然わからず。
何を求められてるのか、全然わからず。
それと同時に、娘のこともこの頃には心配になって。
両親が仕事の関係で実家を離れ、遠くに住むことになった。
だめともいえず
私がそっちに行くこともできず・・・・という環境の中
果たしてスタジオができたら娘はどうなるんだろう・・・・・・って。
もちろん社長に相談もした。
だけど結局何もない。
不動産も同時に探す。
いい物件が見つかって
それは青山一丁目だった。
80万円。
だけど、最高。
ここにしようって、社長が言った。
テンションがあがる。
だけど、突然、現実。
保証人から始まって
いろんなことが現実的に出てきて
知識のない私。社会経験のない私。
初めてで考えたことないようなことがたくさん。
いろいろあって
社長に聞かれた。
「お前がこの家賃払えるだけ客をつれてくる自信があるなら、ここを借りよう。」
そこではじめて認識する。
そうか・・・・
スタジオ始めるって、そういうことなんだ。
私がやらなくちゃいけないんだ。
お客さん集め。笑
今思えば本当に申し訳ないことしか、ないのだけど
あの頃はよく、こんな私と共にスタジオ出そうと思ったな、社長・・・・という感じ。
感謝・・・・・・・・・・・・
そのあと
もう少し探そうということになり
不動産をやってる弟にもう一度連絡をして
青山にある知り合いの不動産を紹介してもらった。
そして、その子ががんばってくれた。
いろんなラッキーの連続で、店舗をみつけ
なんとかかんとか、そこで契約。
工事もなにもかも
全然つてがなく
兄弟にいろいろ紹介してもらって
紹介の紹介で、いろいろ無理を聞いてもらって
それで、なんとか形になった、青山の1号店。
オープン当初はスタジオメモアだった、あのお店。
だから私は自分の会社をつくるときに、会社名をメモアにした。
メモアって
私のアメリカにいる友達が考えてくれた名前なんだけど
直訳すると、伝記とか、そんなのなんだって。
ロゴにしやすいとか
聞こえがいいとか
イロンナ理由で、この名前にして
韓国にいるイロンナ人の助けにより
ホームページもできて
あわただしく進む準備。
仕入先も何もわからない状態で
本当に運よく偶然の連続で私は、なんとかイロンナ場所を探してきて
通常よりはたくさん、卸価格でいろんなものがそろえられた。
そして、
不動産を探している途中で社長に訴えた、イロンナ思い。
娘のことも何もかもが不安で
社長の考えが知りたかった。
でも、かえってきた答えは、「自分で決めろ」
今思えばそりゃそうなんだけどさ。
あの頃は
社長がそんなの決めてくれるくらいに思ってた。
いっぱい泣いて
悔しくて
決めた。
娘を、韓国の妹のところに預ける。
妹も、理解してくれる。
なんとかやれることをやっていこうと思った。
まだ小さくて
2歳だった娘。
私が日本に帰る前日、寝かせようとしたときに娘を見てて泣きそうになった。
そしたら娘に言われた。
「大丈夫だよ」
今思えば、2歳半くらいの娘が、何を思って私にそういってきたのか。
だけど
あまりにびっくりして、泣いてしまったんだ。
日本に戻ってくると忙しくて、寂しさは感じなかった。
だけど
夜になると電話がくる。
娘が泣いてる。小さいから、当然のこと。
なんともいえない気持ちになる。
だけど、今は仕方がない。
今から帰るねというわけにもいかないんだから。
気持ちを、強くもつしかない。
私が決めたことだから。
さっき書いたけど、社長に「もう期待しない」といわれた言葉が
なんだか無性に、悔しかった私。
基本的に、人には期待されてなんぼだと思うし(笑)
私は
常に期待以上のことをするにはどうしたらいいのかを考えたりしてるだけに
本当に悔しかったのだと思う。
だから絶対に、がんばって、挽回したかった。
そのエネルギーだけが、私を、押し出してくれたのかもしれないな・・・・